ベホイミはまだ習得してない

年の瀬だという実感が湧かず、玄関のクリスマスリースを見て違和感を覚えた。あ、もう22日ね、なるほど。あ、バイト先ももう今日からクリスマスコース?

実感が湧かないうちにずっと来てほしくなかった日が来て、2018年が終わり、平成が終わるのかと思うと悲しいような寂しいような、いやでも実感湧いてないから悲しくも寂しくもないような、へんな感じがする。

 

年末というのはやっぱりいつも慌ただしくなる。今年は就活とバイトのしすぎも相まって、訳の分からない年末を過ごす予定だ。

あれもこれもとやる事が溢れてくるときに、そのやる事自体に体力の100%を使ったら死ぬと思う。これは比喩ではなく。回復するための体力を残さなくてはいけないのだ。攻撃にすべてのMPを使ってホイミが出来ないんじゃ、死んでしまう。

これを分かってない人が多すぎる。何事もむやみに頑張れば何か成せるなんて幻想だ。ガンガンいこうぜ、じゃねーよ。

そんなわけで私はいつも回復場所を探してるんだけど、私の場合やっぱりそれは人に会うことなのだなあと実感する。会えない人ともテレビ電話越しに飲み会が出来ることを知った。コスパ最強だしそのまま寝れるしめちゃおすすめ。本当はもっと遠くにいろんなところに行きたいんだけど、やっぱりぴょんとはいかないものだな。

 

ぴょん

 

目の前で自転車に乗ってお父さんと並走してる女の子がいきなり止まった。どうした?と心配するお父さんに、女の子は疲れた!とそれだけ言って休憩してるのを見て、そうだよね疲れたら疲れた!って言って休憩したいよねと謎の共感をした。うけ。最近こんなことばっか考えてるな。

 

ぴょんぴょん

 

ところで準備をしているときって何のために準備をしているか迷走しがちじゃない?何にしても、準備してその時がきたら終わってしまうと思うと、終わるための準備をしているのかとか思ってしまう。文化祭でめちゃくちゃ時間をかけて作った装飾が、文化祭当日の夕方にはぐちゃぐちゃになってゴミ袋に入っているのを思い出す。ぐちゃぐちゃにするために作った訳じゃないのに。その文化祭は成功で、その装飾は好評だった。頭で分かっているのとそれを感情に結びつけるのは全く別の話だ。

 

フットワーク軽くして空を飛べるようになったら、海外までもぴょんって行けるかな。手始めに土曜日の朝に成績証明書のためだけに知らんキャンパスまで行っちゃうもんね。リポD飲んで今日もファイト一発。