「誤解する」「和解する」

 

ちょうど3年前に書いた文章です。

18歳ながらに愛について考えて考えて考えて作った思い入れの強い発表なので、ちょっと訂正したい所とかあるけど、そのまま全文投げます。聖書の授業です。

 

***********************

 

テーマは「誤解する」「和解する」。ちょっっっと私には難しそうですね?笑

このテーマで何を話そうかな~と考えたとき一番最初に思いついたのは、真逆の愛についてでした。

これから話すことは、私がずっと前から考えてきたことで、言ってしまえば私が何かを考える時の根底にある考えとも言えるかもしれません。それをみんなの前で話すのはなんだか怖いような気もしますが、いろんな意味を込めて話したいと思います。最終的に少しでもテーマに繋がればラッキーです。

 

 

みなさんは愛、と聞いて何を思い浮かべますか?誰を、思い浮かべますか??

少し前に、文脈もまぁなくはなかったのですが、恋と愛の違いってなんだと思う?と聞かれました。私は内心、いや全然違うものでしょ…と思いつつ、言語化することが出来なくて、ちょっと待ってと伝えて考えました。

結局、恋はときめいたり会いたいと思ってたり、いわゆる好きっていう状態で、でもそれは状態でしかない。一方愛は、恋とは本質から違って、その人の全てを飲み込んで、その上で悪いところ嫌いなところたくさん知ってるけどなんだかんだその人に落ち着くし、何かによる訳でもなく何があってもその人のそばに居続けること

まぁそんな感じの結論になりました。


これを考えている時、私の頭の中には一つの言葉がありました。好きなアーティストさんの言葉なんですけど、「いつだって最後に残る味方は、自分の半径3メートル以内にあるものだけ。それは親でも友達でも恋人でもいい。理論で善悪を測ろうとしたところで意味なんてない。どれだけ理論的に破綻していようと、「それでも味方だよ」と言ってくれる人だけが自分を生かすんだよ。」という言葉です。

私と仲良い人はもうその話聞いたよ笑、って感じかもしれませんね。それくらい好きな言葉です。

一応これについて幾つかの批判もあったので言っておくと、ここで言う味方というのは存在の肯定であって、例えば何か間違ったことを言ったときに間違っていると言わない、ということではなくて、それは間違っているけど間違っているからといってあなたのことは嫌いになるわけではない、それでも味方でいるよ!みたいな意味だと思います。

これを読んだ時、この文章の中には一度も「愛」という言葉は出てこないのに、あ、これを愛って言うんだなぁって思いました。私が今まで、こう、言葉にできなかった考えを言葉にしてくれた感じでした。

みなさんに、愛する人はいますか?

 

聖書では神は私たちを愛してくださる、と各箇所が語っています。私たちは神に愛されているらしいです。半径3メートル以内に置いてくださったんですね。

 

私が愛と聞いて切に思うところがあるのは、自己愛についてです。

J3くらいのころ、私は自分のことがとても嫌いでした。最近この聖書の授業や礼拝で他人と比較しないこと、タレントについての話などをよく聞く気がしますが、当時私は何も持っていない自分に劣等感を感じ周りがすごく輝いて見えて自分が小さく貧しく思えました。それは、今でも変わっていないのかもしれません。自分を愛するというのは私にとってはかなりの難題です。

昨日、この発表のために「自分が嫌い」というワードを打ち込み、グーグル大先生に聞いてみました。こんなに厨二病っぽいことをしたのは中2以来かもしれません笑

という冗談はさておき。そこに書いてあったものの中の一つに、自分を愛せないと人を愛せないよっていうのがありました。そんなことはないんじゃないかと思います。他人を愛することで自分を愛せるようになることだってある。一方で自分を受け入れることで、他人のことも受け入れることができるようになる、というのもまた、事実だと思います。


私たちは愛を怒りを感情を、人に伝えようとするとき、言葉で伝えようとしますね。みなさんは自分たちが言葉を操って生きているように自然と思っているかもしれません。

しかし私は、言葉って足りないよなぁと思うことがよくあります。私たちの考えていることやこの複雑な感情を人に伝えるには、言葉ではあまりに足りず、なんとか言葉にしたことが自分の本当に伝えたいこととはあまりにかけはなれていて、戸惑うこともよくあります。

それなのに私たちは感情も人との関係も、全てを言葉の型の中に押し込めようとします。微妙にニュアンスが違うかもしれないのに、人から言われた言葉に悩むことだってあります。私たちは言葉を操っているどころか、言葉に翻弄され支配されているとすら言えるかもしれません。

ピンと来ないかもしれませんが、私はこんな言葉なければいいのにと思う事もあります。

言葉にはいつでも誤解がつきまとうからです。

ここで少しテーマに戻りますが、何を伝えた方がいいのか、何を伝えない方がいいのか、なんて伝えるのがいいのか、私はいつまでたっても分かりません。


私たちはこれから生きていく中で幾度となく人と摩擦を起こし衝突していくでしょう。でも他人と自分の違いを知り、違いがあって当然だとし、他人を受け入れることで私たちは和解することが出来るのかもしれません。ときには衝突したっていいんじゃないかと思います。それも、最終的には自分のおおきな財産になっていくはずです。そして、繰り返しになりますが、そのためのまず第一歩として自分を愛してみようと、そう思います。

 

 

 

少しでもみなさんが、愛について、愛する人について、もっと言えばみんなの周りにいる全ての人について考えるきっかけになってくれたら嬉しいです。

ありがとうございました。