常に瀕死in梅雨

みなさんいかがお過ごしですか。久しぶりの投稿だからそれなりに元気にしてたのかなと自分でも思ったけど、そんなことなくて下書きの欄に増えていく投稿の山を消すこともできずに持て余しています。

 

梅雨はHPが半分以下のところから1日がスタートする。本当にHP残量が目に見えたとしたら、夕方には赤くなって、夜には瀕死状態だ。この間ビール2杯で普通に酔ってびっくりしちゃった。

 

何事も頑張っているから必ず報われるなんてことはなくて、でも報われないとやってられなくて、それで文句を言えるならまだいいんだけど、ただただうんざりしたり自分にがっかりしたりしてしまう。

ちょっとだけ時間が止まってくれないかな。

 

お金かけてでもやりたい事をやろうと、好きなように生きているはず。ツキが来てて割となんでも上手くいっている気もする。なのに、気持ちはずどんと重い。何が原因か、分かるようで分からない。そういうのはぜーんぶ何かのせいにしてしまいたい。雨のせい。梅雨のせい。

 

梅雨といえば私のべっとりとした文章は梅雨っぽいけど、梅雨に読むには鬱陶しいね。アウトプットしたいこともたくさんあると思ったんだけど、なんだか姿がはっきりしなくて言葉にすることすらできない。他の能力すべて捨ててでも自分の価値を自分で見出す才能が欲しかった。元々低い自己肯定感がより一層低くなっているな。自分の価値を下げるようなことをするなとか(一般的に)言う人よくいるけど、本当にそれって自分で下げてるの?自分で上げ下げ出来るの?てか価値ってなんだよ!

 

何も考えないのがいちばんしあわせ

優しいポタージュ色

6月になった。この出だし前もやったなと思ってから、1ヶ月も経ったことに驚く。5月は時間やら体力やら感情やらを浪費しながら生きた1ヶ月だった。

「感情的にならないための本」みたいなタイトルの雑誌を買ってきて、それ以来「今日も起きてえらい!!」「幸せ!!」とわざとらしく口にする友人に救われているように思う。そういうの大事だよね。

 

6月は一番嫌いな季節かもしれない。梅雨だし、晴れたと思ったら眩しくて。偏頭痛持ちの私は、雨の低気圧でもぐったりしてしまうし、直射日光を浴びちゃうと刺激性の偏頭痛を起こしてしまう。それでほぼ毎日サングラスをしているんだけど、普通におすすめだよ、焼けにくくなるって言うし。みんな、どこ行くんだよwwって言うけど、私の地元では結構買い物に行くだけでもサングラスする人が多くて、私が浮かない程度にはサングラス率が高い。とマウントをとってみる。

今年は気候的な問題に加えて、もう1つ6月が嫌な理由がある。「インターンシップ情報解禁」である。日付が変わった途端にアプリがアップデートされて、いくつかの所謂就活情報サイトってやつからメールが来た。煽られてんなぁ。まぁ何もかもこれからだし気負わずに頑張っていきましょう。

 

昨日は久々に感情をぶちまいてしまって瞼が重い。メイクは偉大だ。人に話して初めて気付くこともたくさんあって、誰かに聞いて欲しかったんだろうなとも思うし、「誰か」ではないんだろうなとも思う。でも私は感情とか考えとかを話すのが昔からとても苦手だ。言葉では絶対に足りないから。グラデーションと線スペクトルってことよ。私が高3のときの聖書の授業で読んだ「誤解と和解」がテーマの文章、今でも持ってるんだけど本当に何も変わってなくて面白いから今度載せるね。

 

最近音楽への依存が増しているけど、あらためて音楽ってすごい。音楽はグラデーションが表現できるのだ。私たちリスナーはそれに自分の感情を合わせて脳内をいっぱいにして、そのままリズムに乗せればいいだけだし。そんな難しいこと考えながら聴いてないけどね。歌詞がいいとかそういう単純な話じゃないのが良い。ライブはさらに複雑で高度で、でも簡単に私に活力を与えてくれるように思う。

最近、選曲迷ってしまうことが多いけど久しぶりにtricotを流したら大正解だった。最高すぎてびっくりした。好きな音楽に囲まれていたいね。

 

 

あ、6月に入って早々に良い知らせが1つだけあった。サーティワンがチャレンジ ザ トリプルやるってよ。食べにいこう。

感情が忙しい

テストが近い。真面目な人たちはそろそろテスト勉強を始めるのだろう。レポートも4本あって今週はタイトなスケジュールだけど、いろいろ悩んでるときより勉強に追われている方がいくらか気が楽かもしれない。そんなことないか。

心穏やかに過ごしたくない?わたしは過ごしたいです。

最近楽しいこととか嬉しいこととか悩むこととか考えることとかすごく沢山あって、脳が何個あっても足りないよって思う。もし今小さい子供に「こころってどこにあるの?」って聞かれたら「ここだよ」って心臓あたりを指して言うだろうけど、本当は全部脳の仕事って思ってるよ。どうでもいいね。とにかく、負の感情ばかりではないが凪がない。

 

もともと楽しかったことを楽しく感じられなくなる瞬間が一番つらい。私のせいで楽しくなくなっているのか、そうじゃないのかすら分からない。どうすれば楽しく感じられるのかも分からないし、一度おや?と思ってしまったらその思いは募るばかりで、増幅を止められない。

 

電車の中で私とおしくらまんじゅうしていたサラリーマン達は毎日スーツを着てぎゅうぎゅうの電車に乗って会社に向かっているのかと思うと尊敬の念が絶えない。それって本当にすごいことなのに、偉いことなのに、当たり前のように思われているのだろう。彼ら自身すら当たり前のように思っているかもしれない。頑張っていたことや優しさが、前は褒められていたことが、当たり前になってしまうのはなかなか怖いことだな。私もいろんな優しさに気づけなくなって、もっともっとと求めてしまっているのだろうか。

 

生粋のツイッタラーである私はツイッターで話題(?)の「ほめて箱」をやらせていただきまして、まぁ多少アンチも湧くだろうと思いながら放っておいたら皆さんすごく褒めてくれて、ただただ幸せでした。ありがとうございました。

TL埋めてうざいなって人はワードミュートすればいいですよ。私は、人のほめて箱見るのもとても幸せな気持ちになれたので、大変良かったです。

やっぱり承認欲求が強くて自己愛でそれを満たせない私は褒められるというのがとても大事で、でも褒めてくれる人がいるのって本当にありがたいことだよなあと切に感じました。

 

美味しいものを食べながら大好きな音楽の話をしよう。旅行の計画立てよう。可愛いものに囲まれて、大好きな人たちに囲まれて、もしかしてそれってめちゃくちゃ幸せじゃない!?

ゆめ

将来の夢はなんですか?

わたしの ゆめは おはなやさん です

りゆうは おはなが すきで おはなに かこまれていたいからです

 

私は今でも花が好きだし、花柄が好きだし、花モチーフのアクセサリーが好きだ。小さい頃、ずっと夢はお花屋さんになることだった。あれ以上幸せな空間があるだろうか、と思っていた。

 

人生は選択の連続である。

私たちは日々の小さな選択と、ときどきの大きな選択を繰り返しながら生きている。私も幼心に中学受験を志し自分で行きたい中学を選んだ。大学受験でめちゃくちゃ悩んで決めた生物という選択をたった1年で捨て、電子系を選んだ。

何も考えてない訳ではないはずなんだけどなあ。なんにも決められないのは、将来に対する希望とかそういう類のものをなくしてしまったからだろうか。

 

悩んで悩んで答えが出ないというのはかなりフラストレーションが募る作業だ。そして時間がかかる。調べて説明会に行って人に話を聞いて悩んで悩んで悩む。うおー考えたくもない。どんな選択をしても、その道に幸運があらんことを…

 

進路だけ悩めたらまだいいんだけど、他にも考えることが多すぎる。しかも考えてもどうしようもない系の。でも考えることを放棄するわけにはいかないしな。なんだ、意外と真面目じゃん、私。

 

今日も好きな服選んで、好きな音楽を選んで、好きなものを探しながら悩めばいいか。これ以上幸せな空間があるだろうか、と思えるように。

自分の好きなものの悪口を聞く快感

こんにちは。今日はタイトル通りの話をします。私がド変態だねって話です。

 

自分の好きなことやものを人に悪く言われることはよくある話だ。他の人の事は知らんが、私はかなりそういう経験をしてきた方だと思う。私が好きなもの・こと・ひとにはちょっとクセがあるからだ(全てではない)。私の好きな野菜(笑)、春菊とえごまだし。

よく言っているけど、私は平和な世界の提供を渇望している。なんで?なんで敢えて場を乱した?いまそれ言う必要あった?なんて思うこともよくある。好きなものなんて、それぞれ違うのが普通だし、みんな同じもの好きだったら気持ち悪すぎるし、その人の好きなものが自分と違うからって害があることなんてまずない。でもみんな悪口言うの好きだよね。わかるわかる。特に人の悪口言うの大好きだしね。私がその人と仲良いって知らなかった?

でも私も好きなのだ。私が好きなものの悪口を聞くのが。

 

私は何か好きなものに対して盲目的になることがあまりない。そんなに熱狂的に好きなものって昔からなかったように思う。好きなものにもいろんな面があるってちゃんと知ってるし、いろんな見方があるっていうのも分かってる。

人が私の好きなものをディスってる時の私の主な感想は「わかる」だ。わかる。それな。あいつそういうとこあるよね。

で、最終的な結論は「でも好き」。なんて平和な世界。平和すぎる。

 

昔はそれに少し悩んだこともある。私の考え方が間違ってるのかな、とか、ここで「でも好き」なんて言えないよな、とか。最近は、でも仕方ないじゃん、私は好きだし〜と開き直れるようになった。だって自分が好きなものに自信があるもん。むしろこの人は良いところに気付かなかったのかー、とによによしてしまったり。

 

でも私のことを私の前でディスることだけはやめてほしい。私の好きなものではないから普通に傷ついちゃうので。本当にやめてね。

うわーーー自分に自信ないからすぐ人と比べちゃうし、妬いちゃうし、でも妬いてるの気持ち悪すぎるし惨めすぎる。最悪、最悪

 

自分のことも、自分が好きなものも、自信を持って好きだって言えるようになりたいね。言っていいんだよ。君だけでもそれを肯定してあげてね。

幸せとは

 

あいつがさ

幸せはすぐ身近にあって何気ないもので

感じようとさえすれば

いつでも幸せになれるって言ったの

 

それを聞いた瞬間絶望したわ

私には無理なことだって分かってるから

 

幸せを感じられるのは幸せになったことある奴らだけ

まぁ別にどうでもいい

私は平和が嫌いだし

 

不幸という名の火の中に飛び込んで

もがいているのもそのせい

 

私はそういう人間

 

 

 

 

アンラッキーマンション(薬屋なおる)のナナさんのセリフ

アンラッキーマンション、とてもいい漫画です

 

自分の機嫌は自分で直せ

5月になった。日付を書こうとして4と書いてから書き直す。あっという間に誕生月終わっちゃったな。誕生月だけ半額になるパフェ、食べられなかったな。5月といえば、ゴールデンなウィーク、私もほしいんですけどどこで売ってますか?

 

このブログを誰かに向けたものに絶対したくないけど、でもこれを読んで共感してくれた人とか連絡くれた人とか抱きしめてくれた人とかほんとうにありがとうございます。誰かのどこかに届いたら、それはそれで価値あることなんだろう。

 

疲れているときどうしても機嫌が全面に出てしまう。でもそれ、私が前からめっちゃださいと思ってたやつだな。誰かに怒ってるなら、その本人に怒ればいいだけで、機嫌を損ねてはいけないよね。誰も私の機嫌なんて直してくれない。自分の機嫌は自分で直さねば。機嫌ってどうやって直すのだろうか。

 

お酒で記憶を飛ばしたことはないけど、お酒を飲んでいようといまいと、私の記憶はいつも曖昧だ。

昔の出来事とか本当に覚えてなくて、最悪な思いをしたこともめちゃくちゃ嬉しかったことも忘れてしまう。数日前のことですら、これって現実なんだっけ、と輪郭がぼんやりとしてしまう。

最初の気持ちを大事に!とか、あの時の思い出を胸に頑張っていこう!とか、絶対にできないのは、そのせいだってあるだろう。覚えてないことを支えには出来ない。

 

イヤホンをなくして音楽が聴けなかった3日間とか、目が痛くてコンタクトがつけられなくて何も見えないまま歩いた歩き慣れた道とか、そういう非日常を楽しめる人になりたい。私は怖い。

振り返ったらどう考えても幸せじゃないよな、ってこといくらでもあるけど、それに気付けないその瞬間だけは幸せでいたい。

まったく、支離滅裂なブログだ。